つまらない人間とは「自分の内面を語る人」
2022/01/23
こんにちは、
庄です!
深夜、暗い部屋で腰の痛みに耐えながら
キーボードを打って、
自分で書いたものに自分で
クスクスと少し笑う、、
それが「書く人」の生活です。
自分で独り言を言って
自分で笑うようなもので
気持ちわるいといえば
気持ちわるいのだけれど、
自分のことをよく
知っているのは自分なので
「知らない読み手を想定して喜ばせる」
よりは簡単なんですよね。
そうして、自分ひとり勝手に
面白がったものを
人さまに晒しています。
が、
自分がおもしろいと思えさえすれば、
必ず他人もおもしろいのか。
そんなわけではないです。
では、
「つまらない人」とは
どんな人なのか、
つまらない人に共通する
つまらないこととは
について
述べてみようと思います。
総じて、
つまらない人間の会話は
「知らんがな」
と言いようがない話が
多いんです。
「寒い、寒いね、寒いよね、ねぇ今日寒くない」
→冬だから当たり前である。僕はいまアツい
「お腹すいた〜、朝から何も食べていないんだよね」
→僕はたったいま、ランチを食べて満腹である
「眠い、なんか眠いよね、昨日寝ていないんだよね」
→僕はあなたと居てアドレナリンが
ドクドクと出ている最中です
これらの人間に共通する特徴は、
『自分の内面を語るひと』
です。
この人たちは、自分の内面を
相手が受け取ってくれてると
思っている点で、
幼稚性が強いひとなんです。
文章でも往々にしてこのように
「私はつまらない人間です」
と触れて回るようなことがあります。
日本の教育では、なにかを鑑賞して
「ハイ!感じたことを書きましょう!」
と先生に言われて
「とても面白かったです」
と感想を書くのが小学生の作文です。
人間が創ったものに触れさせて、
湧き上がった感情を書かせることが
「豊かな情操教育」だ
と信じている人間が多いんですよね。
その「湧き上がる感情」とは、
単なる「内面」の吐露に過ぎず
「寒い」「お腹すいた」「眠い」
と同じ。
心象を述べるには、
事象を提示して興味を持って
もらわなければなりません。
事象というのはつねに
人間の外部にあるもので、
興味を持ってもらうには
事象の強化が不可欠です。
事象とは、
見聞きしたことや、
知ったこと。
世の中のあらゆる
モノ、コト、ヒトは「事象」です。
それに触れて心が動き、
人に伝えたくなる気持ちが
生まれまれる、
それが「心象」です。
その2つがそろって初めて
「随筆」が書かれます。
人間は、事象を見聞きして、
それに対して思ったこと考えたことを
書きたいし、また読みたいんです。
そしてネット上で読まれている
文章のほとんどはこの
「随筆」になります。
事象よりのものを書くのならば、
それは「ジャーナリスト」「研究者」
であり、
心象よりのものを書くのであれば
それは「小説家」「詩人」
です。
「寒い」「お腹すいた」「眠い」
では随筆になりません。
なぜなら、
人間が創造したものには
すべて
「文脈」があるからです。
原型があり
下敷きがあり
模倣があり
引用があり
比喩があり
無意識があります。
それらは、
作品を構成している文脈=ファクトです。
例えば、
物語の構造は類型だらけです。
古代神話、聖書、史実、
シェイクスピアの作劇など、
物語の基本構造は出し尽くされている
と言ってもいい。
そのどれかを選んで、
必要かどうかを問いながら
新しさを加えているのが、
いまある表現です。
映画にも必ず下敷きがあります。
過去の名作へのオマージュ
もあります。
特定の映画作家への
リスペクトもある。
他の芸術作品や時事問題、
歴史的事実を織り込んだ作品もある。
それら下敷きのなったものと
どう関連しているか、
どう発展させているかというのを、
ちゃんと調べて指し示すと、
読む人は
「ああ、なるほど」
となります。
書くという行為において
最も重要なのはファクトです。
つまり「調べる」
ことから始まります。
そして調べた9割を棄て、
残った1割を書いた中の1割にやっと
「僕はこう思う」
と書く。
その1%以下を伝えるために
あとの99%以上のファクトが要ります。
だから、書く人の仕事って、
99%が調べる、観察する、リサーチすること
なんですよね。
徹底して調べた事実、
そしていままでに明らかになって
いなかった新事実が提示され、
ファクトを並べることで、
読んだ人が考える主体になれます。
調べたことを並べれば、
読む人が主役になれるからです。
事象に出会う。
感動したり、疑問に思うなどの心象を抱く。
そこから仮説を立てる。
調べる。証拠を並べる。考える。
その時点での結論を出す。
順を追って考え、順を追って
書き記していくことが、
自分自身の理解への
道のりそのもので、
結果として人の気持ちを動かす文章となる。
その
「思考の過程に相手が共感してくれるかどうか」
が文章を書く意味なんです。
ではまた!
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!